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#002  
ヒンドゥー社会を読み解く

 

 

ンドゥー社会で、
特に問題視されるのは、
俗に身分階級と解釈される
カーストと言うしくみである。

しかし、一般的によく知られる
カーストという言葉は、
実はインドには存在しない。


これは、ポルトガル人がインドを訪れた時、
インドに暮らす人々同士の交流に、
特異があることに気が付き、

ポルトガル語で「血統」
という意味を持つ「カスタ」から、
現在では、広く一般的に
そう呼ぶようになったと言われている。



つまり、チャイ屋の子供は
チャイ屋と言うように、
各自が生まれる時点ですでに
身分というものが決まっていて、

その決まった運命に逆らわず、
人々は自身の運命をある程度わきまえて
日々を暮らしていうというのである。



実際には、インドに2000〜3000
はあると言われる
社会のグループ(共同体)が、
生まれという意味を持つジャーティーで、
これによって、
奇襲の職業や社会的地位の分類がされている。


それに加え、色という意味をもつ
ヴァルナという思想が、
肌の色や衣装の色によって、
人々を判断する要素を持っている。



現在でも、この2つの思想は、
インドに根強く残っていて、
「人種差別」という観点から、
度々インドの紙面でも取り上げられる。


 




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ンドゥー教の基となる言われるバラモン教は、
バラモンと呼ばれる
祭祀を行う僧侶を敬う宗教であった。

このバラモン達は、
人々が信仰する神の代理であって、
人々は、全てはバラモンに尽くすようになる。

ヒンドゥー社会で、
バラモンは1番地位の高い者たち(僧侶)で、
次にクシャトリア
と呼ばれる武士階級の人がいて、

その次にヴァイシャと呼ばれる平民、
スードラという奴隷階級、
バリヤと呼ばれるカースト外の人々がいた。

特にバリヤと言われる人々は、
人間扱いされない人々という差別がされた。

このしくみは見事なトライアングルになっていて、
身分が上になる人は当然少なく、
圧倒的に奴隷として働かせられる人々が多かったが、

バリヤという存在が、
奴隷階級の人々の不満のはけ口として存在したわけだ。



のカーストが強化された理由として、
アーリア人社会の成立が背景にある。

紀元前1500年頃、
北西からアーリア人が侵入し、勢力を拡大させると、
紀元前800年頃には、
すでにアーリア人社会が確立され始めた。

元々アーリア人は肌の色が白く、
体格も良く、
また勢力を拡大する強い意志を持っていたので、
武力を用いた戦いが率先されていた。

元々インドに暮らしていた、
インダス文明に起源をもつドラヴィラ人は、
肌の色が黒く、
アミニズムを信仰する平和な人々であった。


彼らは、自然を崇拝し、
現在も残るリンガ(男性性器と女性性器)や、
木々に祈りを捧げる信仰深い人々だっといわれている。


ーリア人が勢力を増す一方で、
アーリア人とドラヴィラ人の混血が増え、
急激に人口が増えた為、
労働の主となるスードラを増やす政策がなされた。

そして、先住民のドラヴィラの肌の黒い人達と
混血の者、肌の白いアーリア人と
区別をする為、肌の色で差別した。

そして、ドラヴィラの人々が持っていた
また浄化と不浄の概念と一致して、
カーストとよばれる見えない慣習は、
一般的に受け入れられるようになった。

一方で、
先住民ドラヴィラの人々が信仰していた
土着的な神々や
アミニズム的な思想をも統一する為、

インド中にあった形のない神々は、
ブラフマー・シヴァ・ヴィシュヌを3神一体として、
その生まれ変わりや
別の姿という思想を説き1つにした。

今残るヒンドゥー教は、
インド(ヒンドゥー国)が
パキスタン(イスラム国)と分離する際、
インドが1つにまとまるにはなくてはならないモノとなった。

複雑に絡み合う歴史の中で、ヒンドゥー教は、
もはや歴史的なインド人の慣習として残る。












ンドゥー古代のすばらしい遺跡として、
エローラという遺跡がある。

ここには、ヒンドゥーの有り方が感じられる。
本来人間の持つ特別性を神秘的にとらえたモノが、
ヒンドゥー教である。

ヒンドゥーの教えは、
先祖代々引き継いできた慣習に過ぎない。

バラモン(僧侶)たちは、
専門的知識を独占する事によって、
自分たちの権威をより高めようとしいた。

その為、祭祀や儀式を複雑なものにし、
バラモンなくてはならないヒンドゥーを確立させた。



ローラ遺跡では、
ヒンドゥー教の強い意志のようなものを感じた。

神々しく、まぶしいほど原色の現代の神像とは異なり、
ただそこにある神の姿は、
人間として、この世に生を受けた者として、
この世に存在するシヴァやヴィシュヌ・ブラフマンの
普遍的な有り方で、

この遺跡には、
シヴァの結婚式が描かれていた。

私たちと同様に、
友人や親戚一同に祝福され、
食事をし、贈り物をもらい、
結婚式のあとで、シヴァは踊りを披露していた。

結婚式に参加した神々の男たちをただひたすら待つ妻や、
貧しくてシヴァの結婚式に参加できない人々は、
別の部屋で各自祝福しているのだ。

また、本堂に祭られるものは、
神の姿ではなく、
男性性器と女性性器が交合しているリンガだけだった。


このリンガから流れ出す水は、
この世に生きる全ての生き物の入り口と出口である。
全ての愛の結晶が、ここから生まれ、
死んでいく、、。



(写真:エローラのリンガ)

ヒンドゥーのタントリズムには、
女性が子供を生むという神秘にあやかって、
男女が交わって1つの命を作り出す行為を
大変神聖なものとした。

これは有名なカジュラホのミトゥナ像に代表される。


ヒンドゥー教、そして古代よりインドが大切にしてきたものは、
この世の全生命が大事にする命そのものなのだ。            




写真 左上:エローラの神々
その他:カジュラホのミトゥナ像
(男女の交歓像)



話を始まりに戻るとしよう。
ここで、ヒンドゥー社会の良し悪しを
論議したいわけではない。

ヒンドゥーの基盤が語るように、
私たちの生活にも、
本来自身の持っている
”オリジナル”というものがある。


しかし、人生という短い歴史の中で、
様々な要因が絡み合い、
生活や仕事、人と接する中で
根本であるモノは
一瞬失ったように見える時がある。

前途のカーストの背景のように、
それは時に合理的に、
または気づかないうちに支配されている事もある。


インド亜大陸が、5000年の歳月をかけて、



他を排斥する事なく吸収し、
融合し、相互に影響を与え合ってきた歴史こそは、
偉大なる哲学でもあり、
また様々な事を証明できる遺産ともなっている。


根本というものは意外と変わらないものである。
そして、自分のオリジナルこそが、
これからの日々をより豊かに広げる、
普遍の掟なのだ。


 

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